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青梗菜とちくわの卵とじ、激安ししゃもの滋味食

青梗菜とちくわの卵とじ、激安ししゃもの滋味食_f0070546_049302.jpg青梗菜はちくわと一緒に卵とじ。

いんげん豆を煮たり、しめじと茎わかめの佃煮がのってたり。

さて、このししゃもですが、お客さん、寄ってらっしゃい~。

なんと20匹で195円でしたのよ。

安くなくなーい?(←あれ?安いって意味だよね?)

ししゃも好きでーす。さば好きでーす。いわしも、さんまも。

なんだよぉ~、結局、青物が好きなんじゃないかー。

最後の晩餐はきっと、塩さば定食。納豆もつけよっと。




HNに使っている「レイコさん」ですが、これは本名です。

あ、本名は漢字で書きますけれど、ね。

家の中で小さいときから、両親にも兄にも「レイコさん」と
呼ばれて育ちました。

それは父の教育方針で、「子供は親の所有物ではない。
ひとつの人格として尊重すべきである」という考えで、
呼び捨てにするでなく、「ちゃん」付けをするでなく、
たしかな「距離感」をはかるために、「レイコさん」と
呼んでいたというわけです。

父は「親と子はそれぞれの人生を歩くもの。君たちの
ために時間を割いて、親の時間を使われるのは困る。
だから、自分のことは自分でしなさい。親を頼るな」と
厳しく言い渡していました。

だから、小さいときから、親を頼る、甘えるという感覚は
少しもなかった気がします。「距離感」がいつもあって、
両親が私の人格を認め、私に干渉しなかったように、
私も両親に対して、その生き方や日常の暮らしに
意見をするということもなく、それぞれの生き方という
ものを大事にできたという気がしています。

振り返ると、いつも厳しかった父の姿があります。
母も同様で、とにかくふたりとも怖かった。

小さいときに友達に両親のことを話すと、
「本当の親じゃないんじゃないの?」と言われる
くらい、泣いてもわめいても、手を貸すことはなく、
私は自力でなにごともやり遂げるということを
叩き込まれた気がしています。

それがために、人の手を借りようとしないというのは
あるようで。もちろん、仕事のことやその他もろもろ、
ひとりで生きているわけではないのですから、
人様の手を借りる場面は多々ありますが、基本的に
日常生活では必要以上に人の手を煩わせるという
ことは一切ありません。

これが兄も同様で、奥さんにも「何かをしてほしい」と
いうことはまったくなく、
「ほっといてもらって、かまいまへんがな」というタイプ。

そう、世話を焼かれるのがとても居心地が悪い、
というのは、ふたりに共通しています。

これは父の思惑どおりといったところでしょうか。

その一方で、人のためになにかをするというのは、
かなり好きという点でも似ている兄と私。

「人がいい」と、誤解されるけれど、兄を見ていて、
それはちょっと違うよなーと思うのは、結構、
マイペースで、頑固だったりするからで、
何でも言うことを聞く「都合のいい人」ではないのです。

兄を観察していて、私もだなあとしみじみ。

「レイコさんって(何でも言うことを聞いてくれる都合の)
いい人だよねぇ」と言われると、あとでがっかりされる
のは、必然なのでございます。
by r-work | 2006-11-16 01:25 | まいにちのごはん
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